「西武化学工業」の役割とは(2)

http://d.hatena.ne.jp/SY1698/20170116 の続き。
西武化学工業というのは非常に異色な企業であった。前身の朝日肥料工業(尼崎肥料工業)、日本ニッケル(上武鉄道)、東京護謨など、本業とは全く無縁に映る製造業の集合体であり、さらには養鶏場を起点に食品工業への進出も果たしている。「多角化戦略」に先鞭をつけたのが森田重郎であることは何度も書いたが、その原点は何なのだろうか。

日本ニッケルは三波川村の蛇紋岩を原料とした非鉄精錬を目的として、日本冶金工業が母体となって設立された。加悦鉄道との間で車輛の融通がなされたことが明らかにそれを示しているが、低品位の蛇紋岩からニッケルを製錬しようというのが土台無理な話で、むしろ後工程の電炉を中心とした再生鉄事業が本業となった経緯がある。その過程で蛇紋岩を原料として化学肥料製造への糸口を掴んだことがきっかけで、当時にしては珍しく化学肥料・電炉製鋼の併営を行っていた。そこから肥料客先の農家→食品工業、鉄鋼客先の建設業→コンクリートパイルへの進出はむしろ多角化戦略というよりは水平展開に近いもので、やみくもな多角化戦略と言い切れるものではない。ただし、製造業自体は工場をはじめ広大な土地を必要とする。銀行からの借入金の担保として不動産に抵当登記をつけるのはほぼ常識である。堤康次郎時代から国土計画を通じて不動産の取得を進めてきたのはよく知られるが、いくらなんでも「西武」の名前の付いた会社が関西地区で同じようなことをすれば目立ちすぎるように思える

(以下気が向いたら続ける)