「命のビザ」とその模倣品

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2018090290065919.html

模造「命のビザ」救いの証し リトアニア公文書館が保管 2018年9月2日 06時59分

第二次世界大戦中、駐リトアニアの領事代理としてナチス・ドイツの迫害を受けた多くのユダヤ系難民に「命のビザ(査証)」を発給した杉原千畝(ちうね)(一九〇〇〜八六年)が領事館を退去して以降も、他の人物が模造する形でビザが発給され続けたことはあまり知られていない。その「模造ビザ」が、リトアニアで保管されていることが分かり、記者が現地で確認した。ユダヤ人らの手による精巧な模造ビザは、杉原の知らないところで計五百通近く作成されたとみられ、数百人が出国を果たした可能性があるという。 (リトアニアの首都ビリニュスで、栗田晃、写真も)



「命のビザ」は八百津町杉原千畝記念館に現物が寄贈されており、今回の模倣品と比べると日本語部分の自体が明らかに異なることがわかるが、こちらのリンクを見るとほぼ字体がそっくりであり、本人でもない限りわかるはずがないし、また大使・総領事自身が個々人のビザに裏書するケースもほとんどなかったはずだから代筆と言われてもそのまま通っただろう。模造ビザの件は寡聞にして知らなかったが、波及効果で八百津町が注目されるときがまたくるのか。

【参考】
http://www.chiunesugihara100.com/visa-unmei2.htm
こちらの字体は「模倣品」に近いので、どうやらこれをもとにビザが模倣された可能性が高そうだ。

八百津駅の廃止前後




むかしそういえば八百津駅周辺の写真を撮っていて、すぐに場所を特定できたのは過去にここで写真を撮っていたからなのだが、当時の写真が出てきたので貼ってみた。当時は駅入り口にこんなゲートがあったのだが消えて久しく、残っているのは駅前にある喫茶定食「錦」のみ。


今の写真がこちら。駅構内は切り売りされて宅地になってしまい「八百津駅跡」とあるのが構内外れになってしまい事情を知らないとこちらに駅舎があったのかと勘違いされかねない位置にある。

2018夏季休暇 (3)





子連れであるのと、明治村方面への出撃を考えて可児市内に投宿したのだが、土曜日が買物仕業往復でそれどころではなく完全に移動日、日曜日は朝から広見線末端区間から旧八百津線方面に足を向けて人道の丘公園などを回り、そこから合流後色々回ってみたりする。さらにそこから帰投して自宅到着が深夜で翌日も何食わぬ顔して出勤というのは以下略

2018夏季休暇 (2)-2




台風の影響で名松線が抑止の可能性が高まる中、一志で下車して川合高岡乗り換えで松坂まで戻り、そこから時間をかけて戻ることにする。日中から豪雨と晴れ間の繰り返しの中、稲生、富洲原などで適当に撮りながら帰投するが、途中新東名を抜ける最中にとんでもない豪雨で時速60が限界という中を走るとか正気とは思われぬ、それでも次の日は何食わぬ顔で出勤しようというのだからあたまがおかしい

2018夏季休暇 (1)


551系(てきとう) この色の電車が走っていたのは30年も前の話となるのか。多摩湖線の351系よりこちらの淘汰が少し早かった。


京王競馬場線というのは平日こんなに利用客がいないとは思わず。都内でここまで乗客が少ない路線は例がない


東京競馬場前駅跡。地図で見ればなんとなくここにホームがあったのだなとわかるが、なんの案内板もない。

今週は夏季休暇をバラして取ったので2勤5休という変則日程。近場だけども足を向けない、いや何年振りの再訪かわからないエリアを中心に回ってみたが、疲れを押してこんな蒸し暑い中をなぜ歩こうと思ったのか

本日の日帰り仕業



西小千谷駅 (駅名表の裏にあった魚沼線史より。1954〜1956年のみ蒸機牽引だった)


青海川駅付近のお立ち台は本来午前中に撮影すべきであり、車輌もE129を筆頭に画一化されてなおかつ本数も少ない。日没前後を狙うのは運次第の要素が強い


某元代議士の唯一の仕事がこれ

西小千谷青海川浦佐と回って往復するというかなり過酷な仕業であった。0640出発の0200帰投。青海川海水浴場は砂浜どころか石ころばかりのかなり歩きづらい場所だったがそれでものんびりとすることはできる。8月中旬だけどクラゲの心配をする必要もないし。