こちらに来てから行った場所 (7)

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8000亡き後、日中の特急運用は3000が主力かと思っていたら、実は5000・6000ばかり走り回っているとは思わなかった。筑紫野・小郡は少し外れるとこういう場所が多いので撮りやすい。まさかJRが福岡~大牟田間の競争を事実上やめたから、特急はロングシートで十分だろうという営業政策なのか?急行・普通のほうに3000が入っていることが多かったのだけども。

そもそも、5000自体も今や本線では最古参となりはて、徐々に淘汰が進んでいくとは思うのでこの特急運用自体撮っておくに越したことはない。かなり酷使をしている感はぬぐえないのだが

こちらに来てから行った場所 (6)

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国鉄時代からの駅舎も駅名板もほとんど消え失せ、目につくところで残っているのはこんなところであろうか。天道駅は駅舎は建て替えられたがなぜか残っているようだし、飯塚駅はまったく国鉄時代と雰囲気は変わらない、ただし駅前の寂れ具合は尋常じゃないけども。

こちらに来てから行った場所 (5)

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当地に何度か来ることはあったが、キハ31との巡り会わせはほとんどなくて、桂川~原田の区間運行時代はキハ125しか見てないし、後藤寺線も同様でキハ140のみ。廃車も進んでいるようなので、そうだ三角線に行こう!と車を飛ばしていってきたのが先週末。朝8時台に波多浦につくのがキハ31の2連だった。やっと撮れたよ!

あとはキハ147に200という運用ばかりで、午後は別途用事があったので速攻に帰投して自宅に戻るのみだった。今度の改正までに持つだろうか。。

こちらに来てから行った場所 (4)

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警固神社、イムズ天神なんか何年ぶりに行ったんだろうか。それくらいに昔のことなので忘れ果てていた。新天町で休んだ後、中洲川端貝塚和白経由で足を伸ばしてから帰投する

こちらに来てから行った場所 (3)

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国鉄佐賀線の筑後川昇開橋は筑後若津駅の近くだったのだが、この地名を見てそうかここは若松車輌の源流である深川造船所の本拠地だったことに気付いて、行ってみた。昇開橋温泉が実は深川造船所の跡地だったことは帰宅後に知った。実は今村製作所の登記簿謄本中に支店所在地として大川市があり、また当該所在地の近くにはあっ という事案も眠っていたりして、次は佐賀市史をめくって(何か書くわけではないが)資料を蓄えておきたいところ。

こちらに来てから行った場所 (2)

志免炭砿の竪坑櫓は一度見ておきたいと思っていたのだが、ここは公園になっていて行きやすかった。幸袋線の遺構はまだ三線区間となっている一部が残っているが、目尾駅跡はほとんど整地されてしまっていて藪の中。それでも転轍機は草叢の中から発見できた。

こちらに来てから行った場所 (1)

近場にしか行っていない。そもそも福岡/天神にすらまだ足を運んでいないのは、生活基盤の確立を優先させているからで、来た時は車すらなかったのだから、ベッドは用意したものの、まだ部屋の中は完全に整理できてはいない。

稲築才田にはこんなものが埋もれている。筑豊電鉄はいつの間にか筑豊中間以南が24分毎まで減っており、貝塚線は事業用車を旅客用に復帰させてから4年以上全く動きがない。