「上武鉄道の最期」予告編



http://d.hatena.ne.jp/SY1698/20160420
http://d.hatena.ne.jp/SY1698/20160423 のつづき。
丹荘駅構内からの分岐点の土地は「朝日食品工業管理地」という表記が残っているのだが、そもそもここはどのような変遷をたどっているのだろうか。現在取れる登記簿は電算化以降のもので、朝日食品工業が代位弁済で取得したこと以上のことはわからない。ただし、閉鎖登記簿によると前所有者が上武鉄道であったことは判明する。

朝日食品工業に話を戻すと、同社は1992年に朝日工業(旧西武化学工業)分割時に成立した会社であるが、セゾングループ解体時にファミリーマートの子会社として残された経緯がある (朝日工業自体はセゾングループとの関連性が薄いために切り離されて店頭上場へ)。


(朝日工業 2015年3月期有価証券報告書 p.4)
同社の沿革は有報提出会社である朝日工業が意外にも詳しく書かれている。日本ニッケルの後身たる上武鉄道については書かれていないが、西武化学工業を母体に西洋環境開発が成立したことまで書いてある。

上武鉄道は電算化以前に清算結了したので、閉鎖登記簿によると1999年5月31日付で清算結了したことが判明する。丹荘駅構内を含めた鉄道用地は1999.03.31付で代位弁済により朝日食品工業が取得したことが判明する (このうち丹荘駅構内部分は分譲直後に電算化されたので、閉鎖登記簿を見ないとわからなかった)。そこで鍵となるのが「乙区」登記履歴である。1992.04.30付で群馬銀行鬼石支店が、根抵当権3億円をこれらの土地に付している事実である (共担明細は保管期限の10年経過しているので残っていない)。これが1997.04.14に解除されたのも代位弁済を裏付ける事実となりうる。