「西武化学工業」の役割とは(1)

西武鉄道西武百貨店 (セゾングループ)、朝日工業ともに社史を発行していないのでどうしてもわかりづらい部分はあるのだが、NDLサーチでぶん回してデジタルライブラリーをひたすら印刷していくという力業で大体の流れはつかめた。

西武化学工業は旧郡是系の朝日肥料工業(→尼崎肥料→西武化学工業)と、旧日本冶金系の日本ニッケル(→上武鉄道)の合流によって成立しているが、その中で同社の多角化に大きな役割を果たしたのが、森田重郎の存在である。堤康次郎亡き後、西武鉄道グループは堤義明(国土計画)、小島正次郎、宮内巌(西武鉄道)、堤清二(西武百貨店)、森田重郎(西武化学工業)等の集団指導体制下で経営されていくが、その一角に名を連ねていることから、同社の重要性が確認できる。

肥料メーカーとしても電炉メーカーとしても中堅程度の規模の西武化学工業が重要な位置を占めていたかというと、関西方面への橋頭堡という位置付けが正しい。元々同社は松村謙三の仲介で1945年に引き受けたという経緯があるが、鉄道会社がわざわざ関西の肥料メーカーを買収するだろうか。理由があるとすればただ一つ、同業他社に警戒されずに関西地域へ進出を図るためである。事実、同社は後年、阪急沿線〜能勢電鉄沿線で宅地分譲を行っている。

また、同社の立ち位置を考えたときに、西武鉄道西武百貨店、国土計画では手掛けづらい事業を担当する「切込隊長」的な存在であったことも考慮すべきであろう。例えば、三笠コカコーラボトリングは設立当初、西武化学工業が主な出資者であったことは注目されるべきである。

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