本日の査収案件(演博資料編)

http://www.waseda.jp/enpaku/
こんなところに逝ってきた。
最初は『少女歌劇』に『松竹演芸内報』探せば楽勝やろと思ったら全然楽勝じゃなかった。結論から書くと「OSSK」の扱いは1933年の時点でかなり松竹内部でも冷淡だし、1935年以後になるとその名前すらほとんど見なくなってくる。おまけにNDLにもなくてさすがにあるだろうと思った「グランドレビュー世界の満州国」を取り上げるはずだった*1『少女歌劇』の当該号が諸般の事情により発刊できなかっただとか*2、なんとなく想像はついた。ただし、ほぼ日刊『松竹演芸内報』1934.1/1〜6/30を流し読みし、『少女歌劇』1933〜1936年刊を創刊号からまた流し読みして、ネタにでもなるべかというようなものだけは適宜見繕って複写してきた。
http://blog.livedoor.jp/chidori527/
こちらのサイトのおかげです。感謝。
【余録】『少女歌劇』1933/10 (通号2) P.26

(一、松竹少女歌劇をご覧になっての感想)
現在少女のみのレビュウではいつまで経ってもそれ丈だ!
(ニ、松竹少女歌劇は将来どうゆう道を辿るべきでせうか?)
私はレビュウは本格的に男性を交ぜてやれば面白いと信じている、私の宝塚ではいろいろな事情があってそれが出来ない、にも拘らずしばしば試みて再三中止した

小林一三先生 何を書いておるのやw

*1:1935/4編集後記では「雑誌を月刊に致すことになりました」と記載。

*2:1935/6編集後記では「五月号は校正も全部済ましていたのですが、色々の事情で月刊中止」