「百貨店」と「歌劇」の関係

そういえば去年「松竹歌劇団満洲」について調べる前に、少女歌劇史の梗概を調べていたのだが、宝塚と松竹を除くと「少女歌劇」は施設の客寄せとして作られた事が多くて、たとえば「白木屋」とか「だるまや」などはその好例といえよう。
http://mitsukoshi.mistore.jp/bunka/theater/index.html
こないだ出かけてきた「三越劇場」というのは、まさにそういう時期の施設がそのまま残っているという意味で稀有な例である。内務省令による百貨店内での公演禁止により、百貨店所有の少女歌劇団は1936年以後消滅している事情を踏まえる必要がある。まさか都心部に斯様なものが残っていようとは思わなかったからだ。

http://www.daimaru.co.jp/shinsaibashi/gekijou/
大丸心斎橋劇場となるとさすがに現代の小劇場風だから印象は異なったであろう。


7月に「満鐵協和會館」の後身である「鉄路文化宮」を訪問して、また今回「三越劇場」を見てだいたい雰囲気はつかめたような気がする。どうしても「大劇場」ばかりを想起しがちなのだが、当時の劇場というのはまさにこのような形なので、色々参考になったし、当時の新聞記事筆写作業が進捗した側面もある。
たとえば当時の新聞記事を見ると、協和會館には二階席があったという記述があるが、写真を見ただけではそう思えない、ところが三越劇場の構造を見るとこの高さでも二階席は作れるのだということも気付かされる。そう考えると、実地調査というのはなかなか難しい。