幻のレビュー「世界の大満州国」について(補遺)

OSKの満洲公演については上述の通り。
http://d.hatena.ne.jp/SY1698/20130515 の続き。
水の江瀧子、津阪織枝の二枚看板を抱えた松竹少女歌劇団(SSK)についても、封印されたレビューが存在するのはご存知だろうか。1935年4月の新宿第一劇場公演「グランドレビュー世界の大満州国」については、残された写真もなく、どのようなものだったのか松竹社史すらもその概要をうっすらと伝えるのみで、劇団亡き今となってはそれを伝える者もいない有様である。当時同劇団が刊行していた「少女歌劇」は当時の劇団の繁栄を余すところなく伝えた貴重な書籍だが、そこから本レビューの存在はなかったことにされてしまっている。

なんと云っても愛読者諸兄姉にまづもってお詫び致さねばなりませんが、先号で月刊にすることを発表致しましたのに、それが実現の運びに致らなかったことです。五月号は校正も全部済ましていたのですが、色々の事情で月刊中止になりましたので、五月号の発行を残念乍ら中止して従前どおり公演毎発行と云う事になった訳です。(「少女歌劇」1935年10月号 P.126編輯後記)

校正も済ませていたのに急遽発刊を中止した事情は何だったのだろうか。それを考えるには、満州国皇帝康徳帝)訪日という背景を考慮したい。康徳帝訪日については前年12月に外務省経由の正式な打診を受け*1、2月には日程が確定した。在京時の日程は下記のとおりである。

04/06 横浜到着〜東京へ移動、赤坂離宮昭和天皇に会見
04/07 明治神宮聖徳記念絵画館、大宮御所、靖国神社
04/08 引見式他
04/09 観兵式
04/10 東京市主催奉迎式典、歌舞伎観覧他
04/11 多摩御陵(原宿〜東浅川往復)
04/12 予定なし
04/13 聖堂、陸軍衛恤病院
04/14 宮城参内、昭和天皇に御告別

松竹本社の歌舞伎・映画・レビューに関する日報は「松竹演芸内報」が同通信部よりほぼ毎日刊行されており、「世界の満州国」に関する記述は1935年3月21日以後散見される。実はこのレビューは「陸軍省新聞班松井少佐案による奉祝グランドレビュウ」(同1935年3月21日)とされており、十景の内訳は

建国縁起、歓喜、慶祝、新飾新京、豊穣、日満歓喜、建設、飛龍吉祥、五族協和、瞭乱万華(同1935年3月27日)

となっている。公演時間は60分。04/11 昼の部は貸切とあるが、これは関係者を招いての貸切であろうことは疑いの余地はない。関係者を招待しての公演は10日〜12日に開催されており、その時の模様が「松竹演芸内報」12日号に記載されている。

満州国皇帝陛下御来訪記念として「世界の満州国」を上演中の新宿第一劇場の松竹少女歌劇団では、十日、十一日、十二日の三日間に亙って日満関係者、要人、随員を同劇場に招待し、仝レビューの終演後直ちに緞帳を引き上げ出演者一同、並に観客総起立の裡に満洲国国歌を斉唱して奉祝申上てゐるので(同1935年4月12日)

もっとも、これ以外に表立った記述が存在しないのが同レビュー最大の謎である。当時陸軍省新聞班に在籍した松井眞二少佐が関わった映像作品は「東亜の鎮め 陸軍記念日を祝ふ歌」などが存在するのだが、本レビューだけ存在が秘された理由がよくわからない。これは前に分析したとおり、一切の論評批判は許されなかったという事情なのか、宝塚歌劇団阪神急行電鉄=阪急電鉄)ほどに時局に迎合的でなかった松竹系各社がどのような形で当局と折り合いを付けたかは気になるところだが、今となっては真相は闇の中である。

*1:満州国皇帝御渡来に関する件」公文雑纂昭和10年第15巻、枢密院・宮内省・外務省他、国立公文書館アジア歴史資料センター A04018379500