「心の奥底に沈んでいる黒い錘り」

映画はやくざなり

映画はやくざなり

http://president.jp/articles/-/7180
http://president.jp/articles/-/7181
ぼくの「心の奥底に沈んでいる黒い錘り」は、たぶん誰にも癒せない。
というのがおそらく文学の根本である。必然的にぼくの場合、思春期の自意識過剰と努力しても誰も振り向かない無力感とで成り立っている。仮に表面上それは解決していても、当時に戻って果たされなかった無力感を解放できればそれは解決できるわけだが、そんなことができないことは自分がいちばんわかっている。

端的に言えば、過去の自分の無力感を解放するために、物を書くと言ってよい。それが表面上は論考の形を取ろうが、創作であろうが、表現する形は問わない。だから何であれ「文学」につながるのは事実である。

もっとも、創作を見ればある種の怨念を昇華させたかったのかと読む人間もいるだろう。ただし、単なる「怨念」ではなく、既存の様式に自分の内面を反映させることで、単なる模倣に留まらないものにしようという試みもあった。それは今取り組んでいるものも同じ。もっとも、きっかけとなった感情を違う形で昇華させるためには別の問題意識が必要となるので、それを書いては捨て、書いては捨ての繰り返しである。

音楽 (新潮文庫 (み-3-17))

音楽 (新潮文庫 (み-3-17))

三島由紀夫的なある種の「くどさ」はどうも耐え難く (澁澤龍彦氏の解説は一読の価値があるものの) むしろ幸田文的な文体を見ておくのも一つの手か。