それは「サブカル」ですらない (2)

http://d.hatena.ne.jp/SY1698/20131222 のつづき。
「内輪に籠る姿勢」というのは、文化系だろうと体育会系だろうと関係ない。その「快いまでの掻痒感」は、気付かないうちに組織を侵食する。あの界隈を見ると大学時代の部活を想起させるものがあり、やはり自分の性には合わない。

趣味の世界なんてどこに行っても「内輪」でしかないのは承知のうえだが、知りたいことを掘り下げる、あるいは幅を広げられることに気づいたのは大きい。自分が同人活動を開始したのはかなり遅かったのだが、自分が調べていたことを「形に残す」にはどういう手法があるか模索した中での選択だった。だから、同人名義は同じでも題材が変遷している。中国貨車・満州港湾史から少女歌劇、官報公告から割る鉄道史に、短篇創作まで手を広げている。

重要なのは、違った視点をどう取り入れることができるか、また自分がどう触発されるかである。文学フリマコミティアに参加したのはコミケ落選による苦肉の策ではあったが、それで「てつ」とは違った視点を得られたことは決して間違いではなかった。短篇創作集でさえ、当初は文学フリマなどで頒布することを前提としていたのが、むしろ自分の中である程度まとまった作品を作りたいという気持が強くなってまとめ上げた面が強い。むしろ、どう捌くかということはまったく考えていなかったし、捌けないだろうと覚悟の上だった