「鉄車工」と「国鉄」の一蓮托生主義。

昨日は、日本鉄道車両工業会刊行「鉄道車両」なる機関紙を読んでいた。
この新聞は1959〜1984年の25年しか存在しなかったのだが、刊行時期が固定レート時代の「輸出振興」から、国鉄官公需中心の「内需主義」に移行する時期なので、一号あたり4頁という僅かな紙面ながら、その動向が変わっていくのが興味深い。おそらく転機といえるのは「新幹線開業」。あとそれ以外にも諸外国の生産能力が上昇し、今までのような完成車両を輸出する需要が落ち込んでいたところも大きいし、また1960年台の国鉄近代化投資で膨大な車輌需要が発生したのも大きい。1965年以降になると国鉄の赤字が顕著となってきて、大幅な運賃値上げによる荷主離れの萌芽は見えてくるのだが、紙面のほとんどが国鉄関係の記事に割かれ、輸出車両に関する記事を探しだすのがきつくなってくる。

ということもあって、この時期の「中国向部品輸出」品目を明らかにすることができなかったのが残念だ。同紙になければ、鉄車工・輸組報その他関連誌においても「国交樹立前の中国向部品輸出」は丁寧に記述から除外されており、その概要を知ることは難しい。産業構造からある程度の姿は描けているとはいえ。