「CHINCOM」と「中国向輸出可能品目」

日中貿易史研究でも手がけないと聞きなれない「CHINCOM」という名前だが、この存在時期をきちんと把握できていなかった。言い訳めいて恐縮だが「中共向輸出緩和品目発表」(『日本鉄道車両輸出組合月報』1958 No.42) の継続制限品目 (12t以上の機関車 etc.) に関する記事を読んでいたため、そのまま日中国交正常化まで残存したものかと勘違いしていた。つまり CHICOM → COCOM へ一本化されたことにより、輸出品目が緩和されたものと理解すべきで、なまじ『日本鉄道車両輸出組合報』『日中関係資料集1945-1966』に頼りすぎたがゆえに、そのあたりの前後関係がきちんと把握できていなかった。

日中貿易協定に基づく「輸出入品目」は当然 COCOM規制に基づくものとして認識されるべきである。さらにクラレビニロンプラント輸出も輸銀与信枠供与案件だったから、COCOM自身が借款を禁じていたわけではないということになる。むしろ 与信枠を持たないと COMECON の如く「バーター取引」ということになり、両国間の枠を毎年清算しきれずに余計なものを輸入せざるを得なくなったというエピソードも散見される。

中共向輸出可能品目について」は通商産業省通商局輸出課より1957/07に発信された文書。詳細はクソ長いので省略。鉄道車両に関しては「12t以上の機関車」「40t積以上の長物車」「10t積以上のタンク車」「40積以上の大物車」に制限がかかっている。国交樹立前の鉄道車両輸出が「部品」しかないのはこういう理由。渡辺肇『日本製機関者製造銘板・番号集成』p.70 によると「6トン機関車」の「中国」という表記が「中国工業」か「中国向輸出」か微妙である。*1 6tBLは明らかに中国向輸出もある(p.72)


「日車の車輌史 日車の車輌史 (図面集-戦後産業車両/輸出車両編)」p.107 これが6tBL C0041〜0057 (1973〜1981製) で一部が中国に輸出されている (統計上はELだが実際はBL。どこに投入されたかは不明)

*1:沖田祐作『機関車表』では「中国工業」としている。ただし同書は輸出車輌を完全に網羅できてはいない点に注意する必要がある。