本日の査収案件(五月祭と対中案件)

今日のテーマは「五月祭」「対中輸出」「専門商社」の三題噺。余録で取った「さらば労改軽鉄隊」(RM1998/04) の製本に、こちらの主催者の若かりし頃の記事を見て「おお若えよ」と思ったのはどうでもいい話。
まず「五月祭」だが「満洲思い出の唄」が案の定JASRAC許認可案件なので複写ができないのを見据えて筆写してやったw なおかつ音源もついでに聴いてみた。カセットテープだから今や貴重音源扱いよ。
問題は「対中輸出」で、日本鉄道車両工業会発行の「鉄道車両」を読んできたのだが、対中貿易のほうは断片的な記述しかなく、せいぜい「中共鉄道車両使節団派遣」(1965.08.01)、「(45年度上期鉄道車両輸出契約状況)中共=部品六億九五九五万六千円」(1970.12.01)という程度。本当に何を輸出したかすら徹底して書いていないのには閉口する。
最後の「専門商社」案件は、日経テレコン21などを中心に記事検索をかけて縮刷版から記事を拾い上げたのだが、近年の記事に驚倒すべきことがさらっと書いてあったので絶句。またこの記事をかつて断片的に見た記憶さえも思い出した。
帰り掛けにその断片をググってみた。出身地と思しき場所はすでに調べあげており、さらに当該社が一時期その出自の近くに支店をおいていたこと、など色々あったが、「語られない」背景についておぼろげながら理解ができた。たぶんこれを追究するのは、おそらく難事の極みであろうが(現に今まで資料採集に苦労してきた)、「歴史を語り継ぐ」ことは誰かがやらねばなるまい。わたしが取ろうとするアプローチは今までの「日中論」では絶対できない作業であり、だからこそその取扱に注意を要するのだ。

僕は八路軍の少年兵だった―中国人民解放軍での十年間 (光人社NF文庫)

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増補版 13歳の関東軍兵士

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