「試験至上主義」か「相対主義」か。

通っていた公立中から上位校に行ったのは、たいがいわたしのような独立不羈を標榜する人間なのだが、とくにわたしは模擬試験の類で学年一桁を確保しながら、内申点が平均4.0切ってたというおそるべき話で、あの高校はよくわたしを合格させたものだと思う。私立では絶滅種だった五教科受験(後年消滅)、学内でも通知表はすべて「絶対評価」すなわち、テストの点のみというおそるべきところだった。さらに学期中には中間試験と期末試験の間に「実力試験」なるものがさらに一枚挟まり(付属校だからか)、そんな形で揉まれると「相対評価」が共産主義的に思えてくる。

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別に東大にかかわらず、母校でも「一般教養課程」というのはあって、当時も同様にシケプリ=コピー調達が重要ではあったが、「楽に取得」した科目よりも、持込禁止の状況下で屁理屈ひねりだして書き上げたほうが案外「優」がついていることもあったりしたので、おそらくそういう「楽に取得」というのには自分も適性がなかった口である。ゼミ自体も、とりあえずは下駄を履かせて「優」もらったほど出来の悪い学生であったが(生前にゼミ長経由で伝え聞いて呆然となった)、おそらく彼と根本的に異なるのは、「なんでもしていい」となったら「どこまで屁理屈ひねり出せるか」という発想を持っていたからだろう。むしろ、「楽」に安住すると意外にもろいタイプ。実際、就職活動は「学科の成績はいいんだけどねー」と面接官に露骨に言われたほどの人間だが、なにをどう血迷ったか前職に拾われ、現職にもまた拾われているのは、根本がどっか尋常じゃないんだろうな。