「戦後日中貿易史」(特定分野のみ)

「中国貨車論叢II」で一部手がけた「国交樹立前の中国向鉄道車輌輸出史」の延長線。
「森製作所の機関車たち」名取紀之で、戦後中国向けに輸出されたとされるDLは「神戸の商社経由」で引合があったとされているが、実は「神戸」に本店を置く「友好商社」というのも数が多くて判断が難しい。「兼松江商」になる以前の「兼松」なら確かに本店所在地は神戸なのだが、上海見本展に出展したのかどうか(そもそも大手商社本体がこの時期日中貿易には噛んでいないはず)、時期の特定に苦慮する。
あと「LT貿易」と「友好商社貿易」が別物ということはわかった。前者は指定品目の枠があるが、後者はそういうものがなく任意。1965年度から突発的に開始された鉄道部品の輸出契約は、広州交易会で引き合いがあったものを友好商社経由で輸出したことに相違はないはずだが、的をどこに絞り込むかが問題となる。

【第一案】
鉄道部品の輸出品目に絞る方法。1958年と1971年の輸組会員加盟社から取扱品目を類推する方法があり、これは「II」である程度推論は立てているものの、加盟社の社史はおろか白書類にも具体的な記述がないことで、もう少し違う手法が取れないか検討の余地がある。

【第二案】
二つ目は、とある日中貿易専門商社に的を絞る手法である。鉄道部品輸出に直接関連はしないのだが、当時の対中最大輸出品目であった鉄鋼製品について考えると、中国鉄鋼業の構造的な問題から、「特殊鋼」すなわち軸受・軸ばね類が輸出されたという推論には至っているので、それを「鉄道部品」と見るか「鉄鋼製品」と見るかが判断の分かれ目となる。また、当時の鉄鋼業が有した(「鉄は国家なり」的な)ある種の閉鎖性をどうやって打ち破れたのか、それは非常に気になる点である。これほど表舞台に出てこないケースは極めて稀であり、そのきっかけは何か、またその後の各種案件にかかわった契機は何かなど、考えれば考えるほど眠れなくなる。関鍵詞「宝山」「重慶」。現在考えているのは、官報を検索して「数値で読む社史」というアプローチの取り方があるかだが、まずは検索サービスが使いものになるかどうかもわからないので、走ってみて考える側面は多々ある。

森製作所の機関車たち

森製作所の機関車たち

【この項続く】
http://d.hatena.ne.jp/SY1698/20130930