本日の査収案件(正史編)

午後は「正史」確認のために赴くが、やはり1934/05が謎である。一応、出港日を特定する資料は出てきたが、どのような演目かは不明とのこと。「松竹演芸内報」でもOSSKに関する部分が空白になっているのは「桃色争議」後、一時的に劇団を「大劇」所有者の「千日土地興業」に切り離した経緯があるためだが、それに加えて東側(SSK)が全国区のスター(ターキー・オリヱ)を抱えていた反面、争議後主力級を失った西側(OSSK)という事情も大きい。
よって、このようなことが考えられる。

(1) 経営悪化にあえいでいた「東洋劇場」を「千日土地興業」が買収。
(2) 改装までの間、観客動員の期待できるSSKを関西公演に振り向ける。
(3) OSSKはその間合い運用で、関東州・満洲方面への海外巡業へ。
(4) 8月に「大劇」改装完了、大々広告で観客動員(゚д゚)ウマー

「千日土地興業」はおそらく「松竹」大阪支社的な存在を担っていたのではないか。「松竹演芸内報」は「演劇」「レビュー」「映画」「SY(松竹洋画)」のカテゴリーに分けられており夫々のトピックスがほぼ毎日刊行されていたが、ここに関西方面の動静が全く記載されていないことがそれを裏付ける。大阪側でもこういう内報を作っていた可能性があるとはいえ、あいにくその実存は立証されていない。残っていればここまで調査が難航するはずもない。

あと「グランドレビュー 世界の満州国」だが、これに関する記事がないのは康徳帝陛下「天覧」レビューだった可能性が考えられる。*1何しろ「松竹七十年史」「松竹歌劇団五十年史」にも写真が残っておらず、「少女歌劇」当該号は校正完了にもかかわらず「諸般の事情により発刊できなかった」と伝えられているからだ。明日はもう一度、残存資料による詰めを行い、さらなる論考の可能性を練ってから、午後会社に向かう予定。

*1:爾後修正。康徳帝訪日日程からそれはない。4/10は東京市主催奉迎式典で歌舞伎観覧はしており、その延長線で松竹幹部が陸軍の提案を元に作り上げたレビュー。