戦前戦中期の少女歌劇団史を辿る。

766.7-Ta377t3 「宝塚歌劇五十年史」
Z11-146 「歌劇」
特267-129 「宝塚グラフ」(1938)
650-13「宝塚少女歌劇廿年史」(1933)
特252-902 「赤玉少女歌劇団
YD5-H-特210-234 「日・独・伊親善芸術使節渡欧記念アルバム 」
Z11-760 「少女歌劇」
特239-255「宝塚年鑑」(1942)
KD6-19「宝塚年鑑」(1943/1944)

戦前戦中期の少女歌劇団史を辿るためには、数多く残されている宝塚歌劇団関係書物を探るのが一番手っ取り早い。現時点では「OSK90年史」はNDL公開準備終了していない(公式サイトで調べたほうが早いかも知れないが)。戦前期は鉄道沿線開発と共に「少女歌劇団」が勃興した時期でもあるため、これをまんべんなく調べることは不可能に近い。「廿年史」の段階では国内公演がせいぜいで外地公演を行える余力はなかったようだが「宝塚年鑑」(1942)によると1939年以後若干海外公演、あるいは慰問団が組まれている事実に注目したい。もう少し資料を読み込む必要がある。
【爾後更新】追記

KD597-17 「松竹歌劇団50年のあゆみ : レビューと共に半世紀」
VH1-S1979 「松竹グラフ」(プランゲ文庫)
GC98-43「福井県史. 通史編 6 (近現代 2)」
関西館小展示「花ひらく少女歌劇の世界」
「桜咲く国で : OSKレビューの90年 : OSK日本歌劇団90周年誌」(2012)

まだまだ出てくる。とりあえず基礎資料として。
「宝塚年鑑」(1942)を見た限りでは北支慰問団が結成された事実はあるが(公式サイトではすでに黒歴史化)、満洲公演は実施していないようである。これはSKD・OSKも社史まで確認していないが同様であろう。満洲公演は1942〜1944年にかけ3回実施したことが「宝塚歌劇団40年史」で確認できた。松竹歌劇団も同時期だが詳細は不明。*1ただし戦前の少女歌劇勃興期に「だるまや」(福井だるまや西武店の前身)が少女歌劇団を結成し満洲公演まで行ったという話があり*2、「だるまや」をキーにするとNDL関西館小展示のわかりやすい資料が出てきたので、また明日読んでみよう。

*1:爾後更新。「宝塚歌劇団40年史」「松竹80年史」より。

*2:爾後更新その2。1931年の設立で満洲公演をする余裕があるはずもなかった。1920年代の「日本少女楽劇団」の巡業と読み違えた可能性が高い。