最後は「一人」で動くしかない。

このような趣味の延長線にある「研究」も今年で3年が経過した。
その結果は「論叢」I〜IIIである程度の形には残せたのだが、その中でもまだまだわからないことは多々あり、また一部の内容については「OSK満洲公演」のようにある意味「極北」を逝ってしまった側面はあるのだが、それ以外の部分で若干の詰めが残っている。「満鉄の港湾技師」についてはほんとうの意味での最終的な詰めがあり、あと「日中友好商社」については一昨年に調査を暫停してのち、再調査が端緒についたばかりではあるのだが、この機会にどのようなことを固めていくべきか考えねばならない。


発端はささいなことばかりである。例えば「富士車輌製」の貨車とは一体なんだろうかというきっかけが「中国貨車総覧」「中国向け鉄道車両輸出史」に、甘井子站で見た電機が「満洲港湾整備史」に、帰国後の宝塚・OSK観劇が「少女歌劇と満洲」につながっているのだ(それをつなげて調査するぼくも相変わらずどこかおかしい)。ただし、世の中には圧倒的に文献類が存在せずに調査のしようもない事象が多々存在し、それをどうやって突き止めていくのか、それはやってみないとわからない側面がある。そこに最大の難しさと愉しみがあり、またそれを追究するには、心の奥底にある「問題意識」と向きあわなければならない。