「てつ」から転じて「歴史研究」沼へ

書くものが「てつ」の分野から離れて行くことが多いので (今夏に合同誌に寄せたものが「内地修学旅行」の話だし) よほど「満洲」へ興味があるのですねと言われることがあったので、そのあたりの流れを書いてみたりする。前にも書いたような気もするけど。
(2010/12 甘井子站)
「中国蒸機鉄」上がりが歴史研究に転じるのも極めて異例なのだが、そもそもは大連甘井子石炭埠頭の入換電機を見てしまったことが発端でこのような「沼」にはまってしまった。もともと適性があったんだといえばそれまでの話だけども、少なくとも2010年になるまで原典に当たるという発想には至らなかった。

それと内山書店の一冊100円セールで査収した『中国鉄路』2008/06月号の楊松柏「鉄路貨車用塗料的発展沿革」を見なければ、いわゆる「薄い本」は作れなかった。実際には2012年2月の蒸機撮影行(平庄・元宝山)で北京の中国鉄道出版社で査収した貨車関係の書籍によるところは大きいのだが、子供の出生時期にようこんなことをやったと思う。実際は、これ以上に様々な方に触発されたところが大きい。
(2013/04 日生劇場)
あと、一時期頻繁に言っていた観劇関連で「満洲公演」について調べることで、当時の新聞の生活面を見る機会があったのだが、そこで拾ったいくつかの記事が「松竹楽劇部満洲公演」のみならずその後の創作、歴史調査に影響を与えることになった。挙句の果てには「ドボちん」沼と組み合わせた創作までひねり出そうというのだから、いったいどういうあたまの構造をしているのか、我ながらUSBで吸いだしてみたいと思うわ