さすが新潮社。\(^o^)/ 万歳
今まで読んでいてまったく気づかなったのだが「溥儀の皇帝専用列車 付表」(P.37〜38)には、
秩父宮・
高松宮・梨本宮訪満記録が出ているではないか。なんで今まで放置していたのだ。
秩父宮訪満は「OSSK
満洲公演」と、
康徳帝訪日は「SSK グランドレビュー世界の大
満州国」と日程が重なっているという事実すら気づいていなかった。つまり、このあたりの新聞縮刷版を「日めくり官報」のごとくリールを回せばなにか見えてくるということなのだが、ひとつ気になっているのが「甘井子石炭埠頭を視察したのはいつか」という点。1930年の
秩父宮訪満は「満鮮戦史旅行」と銘打った視察行なのだが、この時期はまだ大連甘井子石炭埠頭は完成していない。1934年の第二回訪満は
昭和天皇の名代なので新京地域が中心であり、1938年の第三回訪満は北支・北満地域、1939年の第四回訪満も第二回と同様。唯一可能性があるのが、1942年の
高松宮訪満では大連埠頭桟橋を訪問しているものの時期としては遅い。そう考えると1930年訪満時に埠頭ビルで誰が随伴してどういう説明をしたかが気になる所ではある。