「日満港湾史」の謎ひとつ。羅津港開港式典

今更ながらで恐縮だが。
「機帆船」の話に踏み込むようになったのは、ひとつは「満州港湾整備史」をまとめる段階で、東洋埠頭社史を紐解く必要がでたため (大連甘井子埠頭建設所長、羅津港建設所長を歴任した桑原利英は満鉄から日満倉庫へ転じている)、あとは「復州湾の塩」関連で、日塩五十年史を閲覧したことがきっかけである。特に前者は「葫蘆島築港方策」とか「柏原兵太郎文書」所蔵の「機帆船による北海道炭輸送」など誰がこんなん読むねんというような代物まで目を通してしまい、全く別の観点からこのあたりに辿りついた次第。それは2012年前後のエントリを参照願いたい。一職員の来歴から港湾整備史を敷衍しようという試みはあまりなかろうと思うのだが、よりによってそれをこんな「貨車本」の中に入れてしまったがゆえに、まあ目立たず終始しそうである
(注)「中国貨車論叢III」書泉グランデ東方書店においております: CM)

その中で、一件だけ解き明かせていないものがあるのでこれを機に紹介したい。

写真は、(満鉄羅津港建設所長)桑原利英氏が、皇族あるいは華族と思われる夫妻を前に説明を行っている構図である。この画像は氏の来歴調査の過程で親族よりもたらされたものだが、誰が臨席しているのか判読ができていない。皇族あるいは李王家かとも思ったがそうでもないようで、華族動静まで手を広げたら収拾がつかぬ、そもそも羅津港開港の公告自体が官報では事後公告ということもあって新聞記事もあまり見当たらないという状況で (羅津港概要に関する桑原利英氏公演は「土木学会誌」でも「諸般の事情により省略」とされている。軍用品扱いが主力だったためか) 、満洲国軍を中心とした戦前史に詳しい東條之人さんにも聞いてみたのだが、軍装の男性の階級が読み取れず判断がつかないとのことで、手付かずの状態であった。

一年以上も経過してしまい、何ら成果もないというのは申し訳ない限りです。
ここに本写真を公表して皆様のご意見を幅広くいただければと存じます。