「誰も手がけないこと」。

本日、所用(業務指示)で見せられたビデオ視聴なのだが、結論は自分が論叢書いた末と同じ「複数分野に跨った展開」であった。ただし「誰も手がけないことをやれ」とは言わなかった。自分だって3年かかったのだから、簡単にできるはずがない。さらにいえば、自分の境地に立つには20年の蓄積がいるので、なおさらできるはずがない。

蒸機の分野では競合がいるから貨車の分野でちまちま写真を撮って、帰国後宝塚歌劇に足を突っ込む傍ら、輸出車両、統計、港湾史と人物来歴を調べて、今年少女歌劇史に手を染めてみてはじめて要人来歴と企業史との組み合わせによる歴史検証手法に気付いた。こんな分野に手を染めたら抜けられない泥沼ではあるが、今まで誰も手がけない領域だから何でもできる。「てつ」なのに産業史も歌劇史も語れるとか異常すぎて笑える。参考文献の厚みはもはや同人誌の域を突き抜けてしまった。

今年は夏に落ちたから、冬に二本作ってさらに一本寄稿する気力があるが、来年はさすがにどうなるかわからない。だからこそ、一つ一つの質を落とせない。最低限、港湾技術者史と友好商社史は生きているうちに目処をつけて形にしたい。わたしの歴史観は、日本組織における戦略不在という問題意識の上に成り立っており、その背骨がなければ論叢は腰の抜けた文章になっていたはずだ。ある意味読み手を選ぶ。売れるようなものではない。それでも続けてきたのは表現者としての適性がある程度はあったということか。ものを書くのはきらいではない。平明な文体で硬い内容を書くのが、おそらくぼくの守備範囲だ。