「世界の満州国」の成り立ちを探る。

前日の続き。
OSSK関連が「松竹演芸内報」に記載されていないことは前述のとおり。ただし、SSK公演なら「少女歌劇」「松竹八十年史」「松竹歌劇団五十年史」にも写真が載っていない「グランドレビュー世界の満州国」の概要くらいは書いてあるだろうと思ったら、これは予想通り記述が散見された。これは陸軍省新聞班松井眞二少佐監修のもと製作されたもので、十景あるにもかかわらず配役その他が一切記述されていない。ただし、この時期は丁度満州国康徳帝(溥儀)が来日していたことに注目すると若干謎が解ける。1935年4月10日は東京市主催の奉迎会にて歌舞伎などの演劇を観覧しており、また10日〜12日の間は「日満関係者、要人、随員等を同劇場に招待し」とある。
では、なぜ同公演を取り上げた「少女歌劇」1935/4月号が刊行されなかったのであろうか。すでに校正が完了していた雑誌が急遽発刊を停止されるとは尋常ではないが、これはおそらく同誌の抱える性格に起因していると考えている。実はこの雑誌は、当時にしては尋常ではないボリュームを誇り、なおかつ雑誌後半部数十頁に読者・ファンの声をまとめてそのまま掲載していた。個人的な想像の域にとどまるが、この部分に不穏当な表現が見つかったか、あるいは「奉祝レビュー」なので一切の論評批判は許さないということで刊行停止を余儀なくされたとも考えられる。どちらにしろ、一切の公式記録から写真が途絶えてしまった同レビューについては、論考の余地が大きいのは事実である。