「恨み」をもってこれに報いるのが、猫々先生。

http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20110712/

明日はAN賞選考ということでふと思い出したのだが、前のA賞候補の時新聞社の並び取材をやって、私は喫煙姿の写真でなければ撮らせないと言ってそうした。で今回産経新聞は書評の写真にそれを使ってくれた。しかしクソ朝日は『日本売春史』の唐沢俊一による変な書評以来四年、私の本の書評をするつもりはないらしく、むかむかしていたら(以下略)

猫々先生こと小谷野敦氏と唐沢俊一とこんなかかわりがあろうとは。
いったいどういう批評をやらかしたのだろうかと調べてみた。
http://book.asahi.com/review/TKY200711060214.html

著者の主張を鵜呑(うの)みにせず、一定の距離さえ置いて読めば、学問の醍醐味(だいごみ)である“驚き”を存分に楽しめる。

原文はまだ朝日新聞社のサイトに残っている。
これについて、小谷野敦氏はその底意(悪意)を見抜いてこう反論している。
http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20091214/

ある人物が「aの言うことを鵜呑みにするな」などと言う時は、実際には「私はaの言うことに反対だ」という意味を隠し持っている。だが私は、恐らくこういう風に「鵜呑み」という言葉を使ったことがないし、「鵜呑み」自体、記憶にある限りで使ったことがない。
なぜなら、aの言うことに反対であれば、それに対してはかくかくの反論批判がある、だからかくかくの書物を読みなさい、と言うべきだからである。たとえば『遊女の文化史』に感動したという人には、もちろん私は『江戸幻想批判』や『日本売春史』を読めと言うし、田中克彦チョムスキー』を本気にしている人には、酒井邦嘉『言語の脳科学』や郡司隆男『自然言語』を勧めるだろう。
だから「鵜呑みにするな」と言う人が本当に言いたいのは、唐沢であれば
「俺はこいつの言い分に賛同したくないけれど、反論ができない。こいつに批判されている奴も反論していない。しょうがない」ということなのである。

http://tondemonai2.blog114.fc2.com/blog-entry-365.html
これは「トンデモない一行知識の世界2」さんのエントリを読めばわかるのだが、こんなわけのわからない批評(にすらなってないわけだが)を書かれたら、当惑するのも当然だ。最後の一文が決め手で、根に持つのも当然。