本日の査収案件2(北越急行史)

草稿段階での予測は読み通りだったことは、大熊孝夫氏の講演要旨より発掘。また「政治ドキュメント北越北線復活」(新潟日報1984.05.16〜20)では、鈴木善幸白川勝彦を通じて第三セクター化への道を1981年の時点で示唆していたようだが、田中角栄が当時国鉄線への引受に固執して、1983年になって急遽覆すに至ったかは謎である。よくわからない部分が多いので改稿はしなかったが、参考文献として挙げるに留める。