やっぱり「何か」が欠けている。

「スコ怖」は最寄りの書店に3冊在庫があったものの、調達を見送った。
http://d.hatena.ne.jp/SY1698/20110407/
で紹介した(ここでもコメントした)例の「重複日記」について前後の日記を閲覧した。
2001年5月31日と6月12日があるが、本来は後者のほうが正しいようで、6月13日以後の日記にも目を通したところ、実父を地で「追討」するその人間性に絶句せざるを得なかった。日記に通底しているのは、徹底した「故人への無情」である。直系親族であるがゆえに感情を敢えて抑えた文体ではないことは通読すれば感じるであろう。
http://www.tobunken.com/diary/diary20010612183028.html
http://www.tobunken.com/diary/diary20010613000000.html
http://www.tobunken.com/diary/diary20010614000000.html
http://www.tobunken.com/diary/diary20010615000000.html
http://www.tobunken.com/diary/diary20010616000000.html
差し障りがあるようなことはわざわざ書くべきではないのだが、何が「差し障りのある」表現か根本的に理解できていない。「社会人としての下積み経験がない」ということを誰かが指摘していた気もするが、それがこういうところで現れてしまっている。まるで「エネスレ」(「駆け込み寺」)の「ろうそく」のようだ。
http://www29.atwiki.jp/matome-tera/pages/279.html
http://www21.atwiki.jp/enemy/pages/268.html
(補注)
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