「台車部品」か「鋼材」か。

昨日は時間があまりなかったのと、ここまでくると膨大な資料を眺めても決め手を書くのでなかなか難しいのだが、当時の中国の鉄鋼業を眺めると、製鋼圧延能力がないので普通鋼板も作れず、特殊鋼など論外。あとは通商白書などの統計数値とのすり合わせを行うことで、おおよそ見えてきそうな気もする。なにしろLT協定において「輸出品:鋼材及び特殊鋼」「輸入品:銑鉄」というのが大躍進政策の影響を引きずっているかがよくわかる。
このあたりの流れは「中国の鉄鋼業(1949-1978)」*1に詳しいのだが、銑鉄技術は1950年代に旧ソ連からの技術により当時としては急激な躍進を見せたのだが、製鋼圧延技術はその後の関係悪化により技術移植ができず、その後の「大躍進政策」で低品位の銑鉄ばかり量産して、後工程がボトルネックとなり鋼材供給に難をきたしたという背景がある。あと、日本側は1960年代より国内需要の飽和化による輸出拡大が求められており、それをカバーするという意味でLT協定が結ばれたといえる。だいたい、誰が好き好んで「銑鉄」*2を輸入するというのか。
NSK社史には中国向輸出があったという記述はごくわずかだが存在した。ただしNSCは製鉄所単位の社史しかなく判断が難しい。1972年以前の記述は専門商社でない限り堂々と書きづらい事情があるので予想していたことだが、ここからが雲をも掴む作業になっていく。

*1:劉志宏、環境と経営第9巻第1号

*2:「溶銑」なんぞ輸出できん。半製品としての「ビレット」。