「相場」の本質論。

東証Project」(クソ株ランキング)の五月さんによる名文。
http://blog.livedoor.jp/love_aeria/archives/51728550.html

株式投資とは、過去と、そして未来のゲームだと考えている。ここには現在はない。今起きていることは、この瞬間に全て織り込まれている。あるのは未来と、それを導くための過去しかない。ツールを立ち上げてコードを打ち込めば誰でも分かる情報に何の価値があるだろうか。割安とか割高とか言うのは、将来起こりうる変化に対して現在がどうであるか、と言うことであって、今見えている数字に意味はほとんどない。そして、過去の記憶や分析から予測できる範囲の物事はさしたるインパクトを持たない。

私は自分のファンダメンタルズ分析にはある程度の自信がある。それは、たとえ何かが起こったとしても今の水準なら半額ぐらいで済むだろうと言う大雑把な見込みだ。逆に言えばそれ以上のことなど予測できるはずがないし、必要もない。なぜなら先ほども言ったように、何かが突然に起こりでもしない限り、私たちはいつでも株主としての権利を市場で行使することができるからだ。
宝くじの控除率は55%で、買った瞬間に価値が半分以下になることが確定している。同じ半額のリスクを負うならば、私はこちらの方で夢を買いたい。私が買ったのは、最大50%の支払いで未来を手にすることができる権利だ。あんな数字が書かれただけの紙切れよりも、今や紙切れにもならなくなった希望の一欠片に、大きな価値を見出したいと思うのだ。

自分にはこの思想はなかったので脱帽。
あえて書くなら、自分の場合は「大口投資家が市場下落時に狼狽売りで手放した堅実な銘柄を拾って、ある程度の鞘を拾って売り払う」という、ゼロサム理論(いや相手のいやがることを徹底する)に基づいていただけなので、未来を読むという思想はなかった。ただし、財務諸表を作る側からいえば、公表数値はすでに「過去」にしか過ぎないので、「未来」は個々人が読んで織り込むものなのである。残念ながら、自分は「作る側」に長く身を置いているので、「過去」を分析することと、目の前の「現実」に対処はできても、「未来」を読む能力はかなり欠けているのだ。
そうは言いながらも、「偶発性」への期待は自分はしない。過去に積み上げた経験則と、今を貫く原理を基に、予測確度を上げることはできる。その程度のことならできなくはない。
ただし、相場に算入する金と気力(余力)がないのは事実だが。