「保守」の課題。

乗りまくっているときは(仕事はさておき)、こういう内省的な文章もそこそこ書けるので、ついでに書いておこう。別に西部邁信者ではないが、結果論としては同じようなものになってしまったが、とりあえず書く。
「保守」が「革新(的なもの)」に対する対立概念である以上、中道であろうが何であろうが「革新」の「敵」と看做された以上は十把一からげに扱われてしまう。更に性質が悪いことに「革新」は感情に訴えるものであるから、非常に聞こえのいい言葉を持って大衆の支持を得ることが往々にして多い。残念ながら「保守」それ自体は、相手の読解力に依存しなければならないという点で、かなりのハンデを背負っているのだ。
じゃあ、どうすればいいんだ、という解を必至になって探してみたのだが、残念ながらそれに対する有効な手段が見つからない。たまたま自分の場合は、異国駐在のうえに国際結婚という形で、自国を相対化することができた上に、もともと「殿軍」にぶち込まれやすい性質なのでどうにかやってきているものの、通常はそういう立場に追い込まれることはないわなぁ。