やけに必死だな中共。(宋慶齢の和服ネタ)

【北京3日時事】20世紀中国の革命指導者で「国父」と称される孫文(1866〜1925年)が1915年、亡命先の東京で宋慶齢(1893〜1981年、後の国家名誉主席)と結婚した際、日本の仕立て職人に依頼して作り、新妻に贈った和服がこのほど北京で見つかった。宋慶齢はこれを気に入り、晩年まで大切にした。結婚生活の短かった革命家夫婦にとって、この和服は愛の象徴だったと言えそうだ。中国宋慶齢基金会の何大章研究センター副主任は宋慶齢は(孫文と過ごした)日本での生活を恋しく思っていた。この和服は宋の日本への感情を体現したものでもある」と話した。和服は長さ134センチ、幅125センチで、宋慶齢はモーニングガウンとして使用。晩年の76年、太り気味できつくなったガウンを養女の隋永清さんに「形見」として託した。宋慶齢はその後もこのガウンへの思いを捨て切れず、廖夢醒中日友好協会理事(当時)が80年に訪日する際には、孫文から贈られたものと似た長く黒っぽいガウンを購入するよう依頼した。廖氏は、宋慶齢から渡された数百元では足りなかったため他人からもらった短いガウンを贈ったところ、宋は「色も長さも違う」と気に入らず廖氏に返したという。宋慶齢が和服を欲しがっていることを知っていた朱徳夫人の康克清中華全国婦女連合会主席(当時)が、日本人からもらった日本の着物を宋に贈ったが、宋は袖を通さず、あくまで「夫の和服」へのこだわりを示した。

どうしちゃったんですか中共。CRH2を「国産」と言ってみたり、今度は「宋慶齢」ネタですか。流石に「国父」は不可侵ですものね。その奥さんでも。しかし「和服をそんな使い方するなぁ」と誰か言わなかったんですかね、中共
ツッコミどころは多いのですが、次。