生産統計で見る「若松車輌の黄昏」(2)

http://d.hatena.ne.jp/SY1698/20160331 の続き。
「鉄道車輌資料月報」を1966年度版まで遡及して調べたところ、このようなことがわかった。

1960年代は国鉄の近代化投資が旺盛であり、また鉄鋼業界も高炉の新設が相次ぎ製鉄所構内用貨車も含め、若松車輌は極めて豊富な受注量を有していた。さらに対ドルレートは360円の固定相場制で海外輸出も時折行っていた。ところが、1970年代に入ると国鉄の債務問題、さらに鉄鋼業界の設備投資が一巡したこともあり同社の受注量は1969年度を境に急激に落ち込む。そして1972年度には国鉄からの受注量がゼロとなる異常事態を迎える。なるほどこの状態でよく潰れなかったものだと思うが、過去からの内部留保があったからどうにかしのげたのであろう。ただし、自助努力にも限界がある。1974年度にはサウジからの無蓋車受注(170)があったものの、そこからは年間100両以上の受注量を確保することはできなかった。それが若松車輌の破綻につながったといえる。

【若松車輌の年度別受注実績】

向先 1966 1967 1968 1969 1970 1971 1972 1973 1974 1975 1976 1977
国鉄
208
350
310
180
35
42
0
0
30
90
65
20
民需
36
30
45
42
61
5
22
28
0
0
0
0
海外
50
0
0
145
80
0
0
0
170
0
0
0

(つづき) http://d.hatena.ne.jp/SY1698/20161113