箱根ホテルと幻の「康徳帝ご宿泊」改装

ふと思いついてこういうものを放流してみる
(2013/09 箱根ホテルにて)
箱根ホテルの年表に「1935年 (昭和10年) 満州国皇帝のご来館に備え、玄関を大改造」という表記があるのだが、ちょっと史料を紐解けば、康徳帝来日時に使ったホテルは奈良ホテルだけで、箱根ホテルは使った形跡がないことはすぐわかる。このような誤解を生む表現を遺しているのはどういうことかわからないが(わざわざメール凸するほどのことでもないし、仮にやっても相手も迷惑するよな)、妙に気になっていた。

箱根ホテル(富士屋ホテル)は、国際興業グループであることは知られており、そこで同社社史を見たら、あれどこかで見た記憶がw おれはいったいどこでこんなものを読んだのかという既視感に囚われながら眺めたのだが*1、それに関する記述はない。そこで「富士屋ホテル80年史」(1958)を紐解いたところ、出てきたわけで

http://id.ndl.go.jp/bib/000001011549

箱根御来遊は四月十三日と決定され、富士屋ホテルを御旅館に充てさせられる旨宮内省より内命があったので、其の準備として調度の新調を為し、且約壹萬五千圓を投じ、本玄關の大改造に着手した。斯くてその完成も近づき、村民も御来宮の日を鶴首御待申上てゐた所、急に陛下ご旅程の御都合上箱根御来遊覧御中止と成つたことは誠に遺憾であつた。」(p.180-181)

宮内省より内命があったのは事実であろう。そうでなければわざわざ改装を行うわけがない。ただし、日程そのものは割合早めから決まっていたので「急に中止」というのはありえない。考えられるのは、いくつか本命とそれに近い所に内示を出しておいて、実際は本命以外は「急に中止になりまして」ということにしたことである。同ホテルは皇族利用が多かったので「当て馬」としての内示をしたのかもしれない。事実、同年には秩父宮竹田宮、李王、秩父宮妃殿下それぞれの御来館があったのだから(前掲書 p.181)、投資が丸損にはなっていない。とはいえ、このパネルの表記が紛らわしい(来たような印象を与える)のは事実なので、そこはどうにかしてほしいところではあるのだが。だからといって「実は来ませんでした」とは書けないよなあ。

*1:ずっと昔に就活でそこを受けた時に会社案内を眺めたのだが、社史まで目を通した記憶はない