「ジャパネットたかた」の黒歴史 (共産圏貿易)


http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150613-00000021-pseven-bus_all

「卒業後は阪村機械製作所という機械メーカーに就職し、貿易部の配属になった。23歳のとき、長期ヨーロッパの出張で8か月間ドイツにいました」
高田は本拠地を旧西ドイツのデュッセルドルフに定め、ポーランドハンガリーチェコなど当時の共産圏諸国をずっと回った。
──一番冷戦の厳しい時代ですね。アメリカに対抗して共産圏はコメコン体制をつくった。ところで、共産圏には主に何を売ったんですか。
「ネジをつくる工作機械です。一番大きなものでは100トンもありました。だから1台何十億とする機械もありました」

( ゚д゚)ポカーン

ちなみにこちらのサイトでは「東側諸国」などと口を滑らせてはいない。
http://case.dreamgate.gr.jp/mbl_t/id=425

就職も英語を生かした仕事ができそうだという理由で、京都にある機械メーカーに入社します。希望どおり1年後にはヨーロッパに駐在させていただくこ とになり、さまざまな国で機械を売り歩きました。ドイツを拠点に、ヨーロッパのほとんどの国々に行きましたね。

「100tの(転造)工作機械」なんて規制にぶち当たる代物じゃないんですか (しろめ)
もっと書くと「転造」=「溝を切る」なんで「察し」以外の何物でもないでしょう。そんなものの輸出に商社を介さず直接社員を送り込んでいただけでも驚きだわw 駐在(出張)期間が8ヶ月で、同社を3年で辞めてますからその間にどの程度のことをやってきたかというのはあるにせよ
もう時効だと思いましたね ( ̄ー ̄)ニヤリ

追記
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