「苦しみ」とは家族を持つことか、それとも人生そのものか

この四年間、公私共に「七転八倒」という状況ばかり続いてきて、そのために自分は手持ちの趣味を少しずつ落とさなければならなくなった。幸い、子供ができる前にやってきたことが色々ありすぎたので、今となってはそれが何かをするにあたっての糧となっている。もっとも、勤め人の身でそんなことは露ほども役に立たない。せいぜい、死んだ後にその「存在証明」が永久に晒され続けるだけのことであり、その報いは甘んじて受けざるを得ない。
もっとも、自分の存在が消えたときに、残された遺物を見て、妻子は何を思うであろうか。何の役に立つかわからないことを調べてきたことに何の意味があるのか、それはおそらく自分が死んでからでないと答えの出ないことであり、これ以上書くのをやめる