「2+2=80」と松下の「黒歴史」


東條首相の算術 2+2=80 という戦時標語がある。
これは戦時中の精神主義を揶揄するものとしてよく取り上げられているのだが、実際に東條英機がそういう発言をしたのか?というところまでは検証がされていなかった。それに挑んだのがこちら。
http://blog.goo.ne.jp/ayureiji/e/dc34f96b4db8313488a4c69ddc55d4ea

ありました。昭和18年6月に発行された『印刷報道研究』(『プレスアルト』改題)に載っていました。当時の資料でも「松下電器産業・報導課」によって作成されたことがはっきり分かります。

どうもこれは松下電器産業報導課*1によって作成されたもののようだが、戦後松下がだんまりこくっているので、汚名が東條英機一人に帰した感はある。どう考えても松下における黒歴史であり、たぶん社史にもでていないであろう。ましてや、松下幸之助は中国へのブラウン管テレビ工場に技術協力を行ったほどの「友好人士」だから、それを覆すような「時局への全面協力」なんて口が裂けても言えないはずだ。むしろ、これをアンサイクロペディアのほうが正確に出元を書いているところが笑えるw*2

東條首相の算術(とうじょうしゅしょうのさんじゅつ)は、1943年6月12日に内閣総理大臣東條英機が発表した定理で、戦時下における松下電器産業株式会社社員の行動模範を示したものである。2+2=80と表されるこの公式は、60年以上経った今でも証明も反証もされておらず、東條の最終定理とも呼ばれている。

*1:現在の広報担当部署か

*2:編集履歴を見るとなんと2010年2月に書かれているので、ひっそりと誰かがぶち込んでいたようだ。しかしポスターを見れば「松下電器生産」としっかり書いてあるので、火元がここであることは疑いの余地はないことになる。