「事実の隙間」から「虚構」を生む

今朝の思いつきは、厳然とした事実の隙間から虚構を生み出す可能性。
例えば、1930年康徳帝訪日には一日どこにも出かけない「休憩日」があり、その日に外出する可能性などないのだが、お忍びででかけて何かするという創作。あるいは、満鉄港湾技師(満州事変直後に葫芦島港を視察した2名)を「反骨」の技術者として描いてもよい。つまりは事実に依拠しつつそういう想像を働かせる作業。確定事実がある場合、そうした手法はある程度有用だが、それすらはっきりしない場合、かえって害をなす。
無座通勤時にこういう文章なら携帯で1,000字以上打つのも苦ではないが、腰にくる。さらに眠気も朝から襲ってくる。仕事に今更面白さを感じる歳ではないが(面白く感じない要因は多々ある)、過去の経験と知識を組合せて「趣味」と「本業」を橋渡しすることには興味を持って取り組める。