「わたしはどこへむかうのか」

前はもっと「てつ」な話題が書けたのだが、昨年末のC83で「なんとなく」気が抜けてしまって、ある種の必死さはなくなっていた。おそらく、そういう部分がC82, C84の落選につながっているのかもしれない(本当は完全に運なのだが、そういうことにしておいたほうがいい)。でもって、ぼく自身が進もうとしており、おそらく向いているのは「誰も手がけない」が「妙に気になる」一分野を、様々な情報の組み合わせで徹底して掘り下げることにある。どういう手法があるのか、実はそれさえわかっていない。締切という概念すらないし、そもそもどういう形で発表するかも考えていないのだが、どこかでそれをまとめ上げることで、違った歴史的側面が見えてこないか、という試み。
今まで、「仕事」の手法を「趣味」にぶちこみ、そこで得た成果をさらに仕事にもフィードバックさせてきてはいるが、それは目的ではなく、あくまでも「手段」である。そうすることにおいて、自らの仕事の質を高め「斬首」への耐性を高める手段。では、それがおわったらわたしはどこへむかうのか。それがわかれば苦労はしない。家庭とその現実に対処していればそれでいい。ぼくが死んでもその研究成果が残れば、誰かが引き継いでくれる。そんなもんだ。