「安定」を求めるのは、本人以上にむしろ親。

http://yokichi.com/2012/06/post-336.html

企業は、これまでと同じ事をやっていたら縮小していくのだから、リスクをとって新しい事をするしかない。そんな状況で、「安定を求めて入社しました」というタイプの学生が集まるような会社で、大丈夫なのだろうか?そんな安定志向の学生が30年後に経営者になったころ、リスクをとって利益を生み出せているだろうか?むしろ、逆な気がするんですが・・・。安定を求めて入る学生が多いような組織は弱体化するだけではないだろうか。
もちろん、「安定した企業は必ずレイオフする」とまでは言えない。しかし直感的には「安定したい」みたいな人が集まる共産主義的な企業はその時点でかなり衰退の匂いがしていて、将来の大規模レイオフ候補企業に見えてしまう。企業なんてしょせんは人間が経営してるんだから、そんなもんだと思うんだよね。皮肉にも、「安定を求める人が集まる企業だから不安定になる」なんてことになるかもしれない。
安定を求めて入るような人が集まる会社はもう、大胆な自己変革ができずに傾き始めているのでは、というウワサもありますが・・・。

題名とこれから書くことには牽連性はないw
20代から「実力」云々というのは強者の論理であって、浅学非才の身にとってはいかに斬首されずに生き抜くかということばかりを30代になるまでずっと考えてきた。実は「絶対潰れない」大企業から悉く蹴られまくって、バブル期には絶対見向きもされなかった企業に入った(内定がそこしか取れなかった)というのもあるが、いきなり放り出されたらどうしようか、そのためにはどういう知識がなければいけないのだろうか、そればかり必死になって考えていたからこそ、前線に投入されてきた面はある。
そのような中、上を見ればきりはないのだが、まずは様々な物事に興味を持つことだ。仕事と直結しない分野で十分。それが後々生きてくることがある。卑近な例だが「常識はずれの百トン貨車」と「鉄路貨車用塗料的発展沿革」の記事を見つけなければ、貨車技術研究に深入りすることはなかったし、またそれが国交樹立前の日中貿易史研究に発展することもなかった、つまりはそういうものなのだ。