関西進撃作戦顛末記。


周囲の風景は阪急電車らしからぬ長閑なもの(妙見口

妙見口〜ケーブル駅までのバスは日祝のみ、往復40分強歩く。

工場が見えるわけではないが、踏切の名前は「三菱」。

本日の方向板車は一編成のみ。撮影者も増えはじめておりそろそろ潮時の印象。

重慶単軌」もとへ大阪モノレール。実はこっちは川重兵庫製。

太陽の塔」。

今回は能勢電鉄沿線を適当に回り(妙見山は山上駅で挫折)、伊丹線で方向板編成(3077-3161-2076-3100)を撮り、重慶単軌大阪モノレール線制圧後、京阪線奈良線と乗継ぎ京都に至り、そこより知人宅へ向かい一泊。本日は痛飲後朝10時過ぎまで起きられず、歓談後は知人宅を出立し京都駅地下のイノダコーヒで軽食調達ついでに珈琲を飲んで、ぷらっとこだま(666A)の一等軟座で帰投。
それはそうと「能勢電鉄」の復刻塗装は見ていない。51/61の色ならまだ認めんでもないが。