眠れないときに書いた長文(一部割愛)。

勢いに任せた長文なので爾後抜粋割愛(02/12補注)

「鶏口となるも牛後となる勿れ」一面真実だが「鶏口」となる才覚はあってもそれに甘んじていると井の中の蛙になってしまう。なかなか難しい。

現職に移ってから何度か挫折しかけたこともある。弱っているときは「移らないほうがよかったのではないか」でも「もし移っていなかったら家人と会う機会すら存在しなかったし、人間としてもっとダメになっていた」ことに間違いはないと考えている。今でも疲れたときは「やめたろやないか」と思うが、「まだやり残したことはないか?」部下の育成と業務の組立とかはやっておかないと。本当にダメなら逃げる。

それでもある意味「枯れて」きたのは、子供ができてからなのだろうか、それとも「II」〜「III」にかけての一年間だろうか。本業と家庭の両立を図るために、趣味に投下する分量を下げざるを得なくなったのが一因だが、幸い資料収集は去年前半の時点でおおよそ目処がついていたのが救いではあった。「I」の段階では「史料を歴史に埋もれさせないか」という思いは(ちょうど本業でも自分の業務をいかに次の世代に引き継ぐべきか考えるようになった頃)「III」を書く段階で益々強まっていった。

「次の世代に引き継ぐ」ためには、今まで積み上げてきた内容を縮小再生産するのではなく、他分野との組み合わせで別の視点を見出し、またそれを平明な形で記すことが理想だ。すべての物事は安易にネットで拾えるものではない。下手すれば書籍にも記されていないことが多いから、集めた資料を組み合わせて何が見えるかを何度も考えた結果、はじめて自分の意見が生まれてくるのだ。

わからないなら調べればいい。幸い、この国は曲がりなりにも言論の自由は保証されているし、頭の中の思想信条を取り締まるべき法令は存在しない。ただし、調べ方のノウハウはやはり個人の経験に左右されるものがあり、自分に合ったやり方を導き出すしかない。ただし、ぼくのアプローチの仕方はかなり特殊すぎておすすめはしない。