「満鉄」の貨車系譜をどう辿るか。


満鉄貨車総覧は「南満州鉄道あじあ』と客貨車のすべて」がほぼカバーしているので自分が書ける内容があるのかどうか疑問ではあるが、自翻式砿石車は満洲砿業だかの書籍を見ないといかんようだし、「自走式砿石車」や「桟橋電車」とかおかしなものもあるようで(『満洲技術会報誌』)どこまで含めるべきだろうか。制式車両は図面に当たりをつける作業が必要となるのだが、それならまだいいほうで、産業用車両の図面など存在するのかわからない。写真の「自翻式砿石車」は原型が満鉄時代から存在するようだが、更に元を辿ればおそらく米国製。桟橋電車が日本で経験のない車両なので米国から輸入したのと同じ理屈。もっとも、同型式は露天砿を中心によく見られた型式だから、蒸機鉄なら写真を見せればあああれね?となるだろう。本車は扎來諾爾で使用されていたもの。露天砿で採掘した石炭などの塊を乗せて運用するのだ。
ただし、罐車となると難しい。もともと満鉄は「大豆三品」の「豆油」と、(オイルシェール副生成物)パラフィンなどの重質油輸送中心なので、軽油等の油槽車は日本以上に発達しなかった。また化学工業の発展も遅かったので、二硫化炭素などの繊維工業系、濃硫酸などの無機肥料系もあまり聞かない。だからこそ専用種別を型式として済んだ側面はある。敞車・砿石車は戦後中国C50/M11/K18の原型があるといえるが、棚車となるとこれは微妙で、研究の余地がある分野ともいえる。廃車体巡りをするにも知識不足が祟り、何しろむつかしい