ある意味「終わっている」。

自分の体調が終わっているという以上に、周囲の思考力が足腰から弱っている現実を目にして絶望的な気分になる。そもそもは、先週の打ち合わせ後に作成依頼を受けた資料について用語の定義がわからないので悩んだ結果、聞いてその意味を明らかにしたのだが、その回答が得られたということは自分以外誰も聞かなかったということなのか?とちょっと不安になる。
でもそれはまだマシな話で、もう一件はちょっと気になった点を調べたところ、それは疑念から確信に変わり、要は肝心なことを誰も調べていなかったことが明らかになった。必ずあとで火を噴くはずなので、走り書きをまとめて予告はしたが気づいてくれるかが不安である。正解なんて存在しないのは事実だが、最低限の前提を考えなければ全てが狂う。それでこっちに「なんで相談しない」などと逆ギレされても冗談じゃないというものだ。去年は自分一人で何もかもせざるを得なくて、誰も検証できず火傷したのだが、今年はあれだけ雁首揃えてこの件に誰も気づいていないところが恐ろしい。劣化というレベルじゃねえだろw それが杞憂で済むならなんぼでも怒られたるわ