「文章」における「論理構成能力」。

https://twitter.com/May_Roma/status/249523671570448384
めいろまさんの上記発言に応答する形で「論理構成能力」について書きだしていったら反響が大きくなりそうなので今のうちに要旨をまとめ直しておく。

自分は業務上のメールを打つ場合、「依頼の目的(大義名分)」「依頼する内容(どういうデータが必要か、あるいは自分の見解はこうだが間違ってないかなど)」「依頼期日」など具体的にわかるような内容になっていないか、何度も目を通して文章を考えるのだが、じつはそういう基本的なことができない人間が多い。部下がメールを打つ場合、自分はそのあたりをくどいくらいに念押しし、文章を組ませる前にその大義名分を細かく説明し、自分の頭で納得できるまで考えさせる。依頼の仕方にも注意が必要で、相手からクレームが来たらその際は上司である自分などを呼んで経緯を説明できる体制にした上で、その上でメールを出させるようにしている。

余談だが、今はメール文化になって文章が垂れ流しになっている側面があり、日本語でさえそれだから(日本人が打つ)英文なんてもっと悲惨なことになっている。海外向けにメールを出す難しさはそこにあり、日本語と完全に切り離した文章構成が求められる。さらに、仕事のできない人間はこうした文章の論理構成能力がない。必然、電話頼みとなり益々効率を下げることとなり、日中は電話と打ち合わせで忙殺されるので、仕事の密度が落ちまくっている。