「大東公司」と「福昌華工」。

「大東公司」といえば、甘粕正彦が設立に関わった労務者斡旋会社であり、また「福昌華工」といえば大連寺児溝の巨大な工人宿舎「碧山荘」に代表される満鉄全額出資の港湾労務者管理会社であるが、どちらも港湾労務者の供給を目的としていた。当時の満洲は石炭荷役と大豆・穀類が取扱貨物の中心をなしており、人力による荷役が主流であるから人員調達力がすべてを制する面があった。注目すべきは、この当時港湾労務者を直系子会社が雇用する形態で行なっていた点ではある。ただし、労務管理自体は前近代的なものであり、あと賃金硬直性が高かったために後年労働者の定着率が悪化し、事実上「労務興国会」のもとに組み込まれた点は指摘せざるを得ない。
ただし、港湾関係の歴史というのも、なかなか書くのが難しい。理由はお察し下さいw