帰宅難民「東海道中膝栗毛」(1)

昨日14時46分、就業時間中に縦揺れを感じたので厭な予感がした、いきなり揺れがやってくる、それもビルの最上階だからものすごい振動で、机の下にもぐりこんでやり過ごすのがせいぜい。数十kgある据え置き型のプリンターがゆらゆら動くのには一瞬恐怖を覚えたが、これは地震体験車ではない、現実の世界だ。どうにか一段落ついて、会議室に行くとロッカーが総崩れで書類が散乱している状況。書類をロッカーから出して荷崩れに備え、そもそも業務用PCがどこにいったかわからないのでよく見ると、向の机との空間に落下していた。とりあえずPCを落とし電源を抜く。
自宅に電話をかけようと思っても規制で繋がらない、まだ余震もくるので仕事どころではない、緊急避難誘導指示はなく、事務所内に残ることになる。だいたいエレベーターが停止する中、地上まで降りるのも生半可な作業ではない。携帯もつながらないのでワンセグNHKニュースをみると、刻々とその状況の酷さが伝わってくる。特に仙台平野を皮切りに、気仙沼港、八戸港津波の状況。でも一番深刻に感じたのは「福島第一原発で冷却水供給用の発電機が使えなくなった」という点。
16時過ぎに帰宅許可が出たものの、電車が動いているとは思えず(現にNEXが封じ込めになっていた)、移動手段は第二京浜経由でバスないしは徒歩で帰るしかない。自宅に電話をかけたら家人につながり無事を確認した。震災当時外出していたのだが特に怪我もなく帰宅できていたのが救いである。
さて自分はどうしたものか。電車が動かないのだからそのまま待っているのもひとつの考えではあるが、家人の身を案じたのと、それ以上にビル内にずっと残っているのが耐え難かった。特に17時の余震が。
18時半過ぎに備蓄物資の支給あり、それを受領してから19時過ぎに帰投を決断する。

非常階段はさきほどの地震で壁(あるいは塗膜)が剥離した箇所がある。

言うまでもなくエレベーターが動くはずもない。全機停台。