「調整弁」としての機能。

自分のような我の強い人間が「調整弁」としての用を足すとは今なお思えないのだが、そういう役割を果たさざるを得ない環境下に投入されることが多い。まあ「経理屋」としては異色の存在だったからこそ、複雑骨折案件下に投入されるわけだが(そのあたりの事情はこっそりとここに書いておいたわけだが)、そういう経験を踏んで何の得になるかといえば「経験を積んだ」以外の役得などないわけで、何はともあれ場数だけなのである。