黄金期から、落日に至るまで。

西武球団の黄金期、それは、秋山が台頭した1985年から、トレードされる1993年までといってもよい。当然、その時期は、清原の在籍と重複するわけだが、清原一人で黄金時代を作ったわけではない。特に、1988〜91年前後、この時期は

(捕)伊東
(一)清原
(二)辻
(三)石毛
(遊)田辺
(左)安部
(中)秋山
(右)平野
(指)バークレオデストラーデ

と定位置がびっしりと詰まっており、この時期に西武球団でレギュラーを取ることは生半可な選手では事実上不可能であった。おまけに、当時の先発陣、先発が渡辺久、渡辺智、工藤、石井、郭泰源、その他もろもろ抱えていた上に、中継ぎに潮崎、抑えに香取という状況。磐石の先発陣が4枚も5枚もいた上で、磐石の中継ぎ、抑えがいては、これもそうそうレギュラーなど取れるものではない。*1
でもって、その落日は意外にあっけなかった。秋山、安部がトレードされ、平野、石毛、香取と力が衰え、工藤がFA、他の先発陣は故障の連続という状況で、一人清原だけが、堤義明の寵愛を受けて、成績だけはそこそこのまま、年棒だけが上がっていくという状況、その清原もFAで巨人に行ってしまったあと、全国区の人気選手は松坂大輔まで現れなかった。
松坂大輔も、清原和博と同じ道を辿るのではないかと危惧していたのは「しろはた」であったが、そもそもこの頃は、堤義明が野球よりアイススポーツに傾倒していたのと、2004年に株主虚偽記載問題が発生して堤義明タイーホとなったのが、幸いではあったのだが。元々、当人に大リーグ志向が強かったから、清原ほど人格が腐らずに済んだのかもしれない。結婚も早かったし。
結局、西武球団は、松坂大輔を入札して「経営再建」にあたるらしいのだが、これって本末転倒だよな。

*1:潮崎の存在で霞んでしまうが、その前は中継ぎ陣には山根、西本などの面白い存在がいた。さらに遡れば永射とか。