「模倣」より始まり、「我流」へ至る。

勝谷誠彦の××な日々」11月27日付より。
http://www.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=31174&log=20061127

「<国内外から来園するプロ写真家から頼まれ、ガイドをする機会も多い。彼らが撮影する姿を見ているうち、「どういう場面を撮ったら面白い写真になるのか、プロならではの狙いがわかってきた」という>。これ実はあらゆる技術を学ぶ極意ですよ。私は写真家としての勉強をしたことがない。それでもある時期写真で飯を食わせていただいたのはまさに先程書いたような方々の門前の小僧として「真似」に徹したからだ。才能はなくとも真似は出来る。探しても見つからぬ自分なんぞよりはずっと飯のタネになる。」

つーか、いっぱしのアマチュアだったら、趣味にのめり込む段階でこのような道を辿る筈だが。自分がそうだった。自費出版の鉄道写真集のなかで、自分が一番気に入ったものを買ってきて眺め、毎日毎日この写真を目標に、という形から入っていって、どうにかまともな写真が撮れるようになったのは90年代半ば。
それから紆余曲折あり、雑誌に投稿を続け、没になる日々も続き、吹っ切れたのは2004年頃。日本、韓国で撮るべきものも撮り、亜国*1への渡航までも考えていたころ、急転直下の中国赴任。その後はただ単に蒸機のある場所を回ってるだけ、好きな写真だけを撮るだけである。
技術へのとっかかりというのは、最初は模倣しなければ話にならないのかも。たとえば「適正露出」はテクニカルな問題だが、これがわからなければリバーサルなんぞ撮れたものではないし、基本的な構図にしても然り。撮影ポイントにしても、有名な場所に行けば、それなりに好天であればそれなりの作品を作ることができる。
そこからが始まり。ここから先が、実は長くて苦しい旅なのだ。

*1:アルゼンチン、パタゴニア