言論の自由があっても、書けないこと。

真に自由であるがゆえにかえって選択肢が狭まるということが世の中には存在しうる。ほらないだろうか、自由にやっていいよと言われながらも、何をすればいいかわからないとか。人間が物事を選択をする場合、今迄の経験などを経て、ある程度的を絞って幾つかの選択肢の中から選んでいくわけで、完全な自由などありえないという背理を証明してしまうのだが。ということを書いたのも、民主主義・資本主義国家においていくら言論の自由が担保されていようが、特に近年のインターネット普及によりいくらでも物事が書ける環境が確保されていようが、自ずから書ける内容には限度があるということを言いたかったのである。
まあ自分のように幾つかの不穏当発言により、blogを移転した人間がいまさら何を言うておるのかというツッコミはなしだ。