消えた「名店」。

http://qzmp.seesaa.net/archives/20120416.html
http://www.manso-kanda.co.jp/
万惣は神田の「中央通り」「靖国通り」に面する好立地にあり(旧交通博物館に至近)、何度か足を運んだことがある。たしかにここのホットケーキは他にはない独特の味がした。ヘナヘナした代物ではない、表面がきちんと焼きあがったそれにメープルシロップをかけたのは絶品であった。
もっとも、万惣の本業は「宮内庁御用達」に指定された高級青果物小売であり、大手企業の贈答品(主に役員レベル)となればわざわざここを指名する会社も多かった。卸売業として継続するにせよ、企業交際費の落ち込みは不況が続き、今後の展望は望み薄であることから、廃業・会社清算というのが現実的なところであろう。

第59次打通作戦は「葦」「塩」「港」。

04/30 IBR-PVG(9C8988)
05/01 PVG-JNZ(FM9189)
05/02「葦」か「塩」。
05/03「港」か「煤」。
05/04 JNZ-PVG(FM9190)
05/05 PVG-IBR(9C8987)

たしかに浦東空港から「芦潮港」(臨海新城)は近いのだがそこに逝くわけではなく、予々論じてきた「葦」の実地調査に加え「港」のほうも見ておきたいと考えている。「塩」は状況次第。あと往復時に市内に侵入し、書籍調達(今回は統計資料)を検討中。資金面がこの時期微妙なのだが、一気に絞り出してみるほかあるまい。

勉強の時間だよ(偽満産業史)。

「偽満」は「欺瞞」に掛けているだけで、特に政治的な意味はない。
冗談はさておき、満州史を論じるには当時の産業構造を認識することが必要である。例えば「葦」の件にしても、当時の人絹(スフ)やその製法(ビスコース法)、パルプの需給構造を理解しないと、あの時代に「葦」や「豆桿」を製紙原料にする意味がわからない。ちなみに満州の製紙業は歴史的には失敗という結論。北鮮地域のみ辛うじて人絹パルプが量産できた程度。錦州は内地から機械を移設して、原料の7割は東満パルプから供給を受けていた段階で、その帰趨は明らかであろう。
どちらにしろ、国家社会主義の実験は破綻したわけだが、こうした無理押しも当時の軍部官僚に「財閥憎し」の感情が強すぎたからではないのか。昭和維新の歌「財閥富を誇れども〜」に当時の世相が現れている。財閥トップの暗殺が相次いだ時勢でもあるし、また別の言い方をすれば、新旧財閥間の代理戦争でということもできよう。