2024年の新刊です (3冊) 日中墨の薄い本

あまりこちらのブログでは広告宣伝を行ってはいないのですが、今年は3冊の「薄い本」が出来上がりまして、先日の夏コミ (C104) で頒布したのですが、改めてここに公告を行います (買ってね)。

(1) 「今に生きる沈まぬ太陽 メキシコ駐在記2019-2022」(書泉グランデ/メロンブックス)

アメリカ・メキシコ地域の貨車写真集は「米墨貨車沼への誘い (いざない) 1~3」でほぼ全車種をまとめ、列車写真の撮影も行ったのですが、そもそも、自分も望んでこんな場所に行ったわけではないのは、各巻のあとがきにある通りで、では実際の現地での生活はどうだったかを、一駐在員の視点からまとめたものです。

メキシコといえば、マヤ・アステカ文明や、中米屈指のリゾート地「カンクンリゾート」よりは、いまや、不法移民の「中継輸出国」で、軍以上の装備を誇る「麻薬カルテル」が跋扈する「治安の悪い国」のマイナスイメージが圧倒的に強い国で、さらに、コロナウイルス流行初期には、世界有数の死者数、死亡率を短期間で叩き出した「疫病大国」でもあります。(ファイザーアストラゼネカ (AZ) はおろか、露スプートニク、中カンシノのワクチンまで買い込んで、どれに当たるかはガチャの域、ファイザーが早々に弾切れになって、3回目はAZになった顛末もここに書いています)

「海外鉄でさえ、之を避ける」中南米地域での駐在に当たってのつれづれを、50個以上の注釈をつけて書き連ねた、「米墨貨車沼への誘い」シリーズのサブテキストです。特に、メキシコ駐在は、北米駐在に対して格落ちの扱いをされることが多く、そういう意味では、二度と駐在したくない国に挙げられます。中墨揃って、ひでえ拠点に送られるとほんとたいへん。

「お前と弟を、人体の神秘展に送るぞ」という「アジョシ」の有名なセリフがありますが、それはこの国ではマジで展開されてますからね? 対立するカルテルの構成員同士でそれをやってる。そんなものを見ずに帰れただけで運がよかった。

表紙は、世界遺産グアナファトの風景。裏表紙の意味は、本文には少し触れましたが、あまり深入りしないほうがいいでしょう (こんなところによう行ったわと、今更ながら呆れ果てる。だからこそ「海外鉄」ですら之を避けるわけです)

 

(2)「台車沼へようこそ (増補版)」(書泉グランデ/メロンブックス/東方書店)

サークル名の通り、元々は「中国貨車論叢1~3」(在庫切れ)、「中国貨車入門」と中国貨車に関する作品を作ってきまして、この「台車沼へようこそ」は2016年夏、中国貨車の台車に特化した本として制作しました。16頁の「薄い本」に留まらざるを得ませんでしたが、本書は好評をもって迎え入れられ翌年には在庫をすべて吐き出し、著者手持ちすらない状況が数年続いておりました。

海外赴任/帰国などの様々な事情が重なり、再版を先延ばしにしおりましたが、この度貨車分野の鋼材、塗料技術などの項目も追記し「増補版」として再版いたします。中国貨車の「台車」「鋼材」「塗料」まで着目し、現地の技術書を読み込んだ書籍はおそらくこれが唯一で、基礎的な技術は大きく動いてはおらず、今でも通用するものと自負しております。

 

(3)「さいたまの夏、とちぎの秋」(書泉グランデメロンブックス)

中国貨車研究会と言いながら「鉄道会社と財務諸表」といった決算公告分析本など、日本国内の鉄道に関する本も作ってきましたが、本書は海外駐在を終わらせて日本に帰国して、北関東地域に的を絞って作った写真集です。

「武蔵野の俤は今わずかに入間郡に残れり」国木田独歩が書き記してから、一世紀以上が経ちました。その面影は多くが失われたものの、春は新緑、夏は酷暑、秋は紅葉、冬は北風が吹く四季は、そこに変わらず存在し、日本に (無事) 帰ってきたことを実感します。「コバトン蒸し焼き県」と称すべき気温40℃に達する埼玉県の酷暑、栃木県北部の紅葉の美しさなど、地の利を生かし、四季折々の風景を詰め込んだ写真集です。

この2年間、あまり遠出する時間も取れない中、北関東中心に軸足を置いて、イベント列車などには目もくれず、「同業者0人」状態で気負わず写真を撮り続けてきました。「今の普通が、10年後の葬式となるのを理解して実行しているのが、手練れのでんぐるまひろし」という言葉がありまして、それを実践できているかはわかりませんが、実際問題として、東武6050系もいまや野岩鉄道の2編成を残すのみ、西武4000系も「SDGs」の名のもとに小田急・東急からの中古品に置き換えられることが公表され、八高線のキハ110も30年以上使われており、いつまで持つかわかりません。東武東上線はあまり変わり映えがしないといえばそうですが、秩父鉄道もデキ100は車齢60年を越し、どこまで持つのかなどの問題は多々ありますが、「いまある普通の姿」を記録することを心がけました。気付いたらいなくなってしまう前に。